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日々是ぱざぱ

代名動詞というもの2

前回の記事、『代名動詞というもの』を読んだAdèleさんからメールが来て、なんと、代名動詞は、フランス語以外のロマンス語系言語、ドイツ語、英語にもあるんだよっていうことを教えてもらいました。で、調べてみたら、あれま、ほんとだ!https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E5%B8%B0%E5%8B%95%E8%A9%9E

どうもすみませんでした。Adèleさんありがとう。

で、複数の言語をこよなく愛し、また、その理解度が半端じゃないアデルさんは、代名動詞がなくったって良いじゃないか、という、わたしの考えは、言語道断(ヾノ・∀・`)ナイナイと、おっしゃっていて、そういうもんじゃないんだよ、と、とくとくと説明いただき、わたくしも、頭がシンプルなので、全部意味がわかったかも怪しく、ただ、「そういうもんじゃないんだー!」という概念のみ刻み込まれ、メールのやり取りが終わったのでした。

というわけで、日々代名動詞に苦しんでいるみなさん!西洋人の言語世界からこの代名動詞はなくなることは不可能らしいので、これも頭の体操と思って、頑張りましょう✨

とある生徒さんは、解釈として、
ある日一緒に勉強しているもう一人の生徒さんに

「ほら、これはさ、一生懸命自分を奮い立たせて、やる気にさせて、やってるっていうことなんだよ」
「ふんふん、なるほどね!わかるわかるっ」

と、このやり取りには笑ってしまいました。というか、このお二人のやり取りほど楽しいものはなく、毎週大笑いの1時間半です。火曜日の11時からです。振り替えの際にご利用ください。なにか、確実に、フランス語かフランス語以外かわかりませんが、お持ち帰りいただけると思います(楽しい気持ちとか、、いろいろ)。

という、楽しい代名動詞を勉強しに来ませんか?

代名動詞でつまづいたかも?というあなたもぜひパザパの扉を開けてください。

せっかくですから、今だけ、『代名動詞割』いたします(入会金から2000円お引きします)。

待ってまーすd(。◕ ∀ ◕。)b♪

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日仏習慣考3〜性の概念いろいろ〜

はい、“ベッドメイキング”に続くマリーの気になる日仏(和洋)の感覚のズレ第二弾は、なんとデリケートな話題、“性”でございます。期待しちゃいます?でも、期待に胸膨らませた諸兄には申し訳ない。ここで取り上げるのは男女のナニではありません。わたしが向こうに行って見て感じた日本人との性に関する感覚の違いを書きたいのです。男女のナニに関しての違いは、フランス人の男はこうだとかああだとか、一般化できる程の経験はしていませんし、そんな事できるのかなって思います。まあ、もちろん、子どもまで作ったわけですから、経験がないわけではないですが、人の話や私の経験で言えば、フランス人は日本人以上に一般化できない、いろんな人がいるんではないかなって事くらいですね。だいたいフランス人って言ったって、三代前までの間に、外国人の血が入っていない人なんてめっちゃ珍しいですから。

なので、そっちの方は期待しないで読んで下さい。

わたしは24歳くらいの時に留学したのですが、いろんなカルチャーショックを受けた中でも、性に関する事は一番強かったですね。日本にいたらやはり井の中の蛙(かわず)。日本人の性の概念、恥の概念はほんとに窮屈でどうでも良い事にたくさんエネルギーを割いているんだなって最終的には思いましたが、いろんなことを見て、その時は、え!?え!??これでいいの!!!???ってほんとにビックリしました。それから、よーく考えて、“あ、良いのか”ってストンと腑に落ちたりして。

例えば、わたしが留学した1989年は記念すべき革命200年記念の年で、いろんなイベントが催されたのですが、わたしは運良く、フランスのministère de la Jeunesse et des Sports(若者とスポーツ省)による合宿イベントに参加する運びとなり、7月の間の3週間程度、パリの郊外にある合宿所でいろんな国の若いアーティスト達と寝食を共にしました。
そこでまずビックリしたのは、洗濯場で、女子が下着のパンツもブラジャーも普通に干している事でした。普通どころか、正位置っていうんでしょうか、パンツが一番パンツらしく見える、ブラジャーも同様に見える形で、堂々と干してあるのです。盗まれるんじゃないか?とか、そういう事でなくて、ただ単に、こここれって、あり!?ってほんとに(⌒▽⌒;) オッドロキーでした。そこに集う人たちはほんとにみんな初めて会う人たちで、とにかく、知らない人同士なんですね。いや、知っていてもどうかと思いますが、つまり何が起きても分からないわけですよ。てか、それ以前に日本人女子では考えられませぬ。。。でしょ?わたしはパンツは部屋に持って帰って、ラジエーターの上で乾かしていましたが、同室だった女性はどうだったか覚えてないや。その方はチェコスロバキアの先生で、年齢は30代後半くらいでしたか、あんまり若くなかったです。でも、結構交流していました。わたしってばフランス語歴一年で、結構スゴいじゃん!なんちゃって。話ずれた。

それから、その合宿所は、ものすごい広大な敷地にいろんな建物があって、アトリエがあっちこちにあり、敷地には芝生が敷き詰めてあって、どこでもみんなゴロゴロできました。そしたら、次にビックリしたのは、女子達がタンクトップとかで居るんですけど、ノーブラの子も多くて、ゴロゴロしてたら普通に見えました。でも、それも普通なの。

その時に経験したのではないのですが、後に渡仏した時に、一回だけビジターでダンススタジオでレッスンを受けたことがあるのですが、そこでもビックリ。スタジオが空くまで待っている間、その待ち合いスペースで、男子も女子もたくさんいるんですけど、女子が普通にいろんな人たちとお話ししながら、脱いで行くのです。どこまでって、上半身は全部。パンツ1丁まで。で、ダンス用の服に着替えると。それが普通なんです。あーびっくり。

それに、今は余りいないのかもしれませんが、エッフェル塔の下の公園で、普通にトップレスで寝っ転がっている人たちもいたし、どうもどうも、うちらと裸の概念が違うらしい、と思い始めて来ました。

街の広告塔には、セックス雑誌の宣伝がでっかくあっちこちにあります。その写真は、もちろんセクシーなカッコウをしたお姉さん達が、物欲しげな顔で写っているわけですが、幾らセクシーとは言え、服着てるんですね。こんな街ん中のあっちこちで素人さんの裸が見れる状況にあって、セクシーとは何ぞや、とわたし、齢23歳は考えてみたわけです。

要は、その気のない人の裸って言うのはたいして価値がない、と。てことは風呂屋ののぞきとかもないわけでしょうか。のぞきはのぞきでも、良く映画とかで出て来るのは窓から見える、妙齢の女性の普段の姿とその性生活というようなものが主であって、裸自体ではないのかもしれません。私たち日本人は裸は裸で、その人にその気があろうがなかろうが、価値はあまり変わらない、どころか、その気がない方が燃え上がる的な心情もないでしょうかね。そう考えると、不健康なのは日本人だな、と思ったわけですよ。だって、その気がある人だったら、こっちがどんなセクシャルな気持ちになろうが合意の元な訳ですから、ある意味健康的です。なんか、大人の性だなって思ったりしました。こちらがその気がないなら何が見えようが、気にしなくて良いって楽だと思いません?

あと、とにかく一番の衝撃だったのが、わき毛、です。もう日本では中学高校と、それ以降も、わき毛のわの字でも見えたら死にたいくらいの恥じ入りっぷりでなきゃ『ならぬ』的な、強迫観念を持っていたのですが、向こうに行って一夏過ごし、ノースリーブのワキの下をわたしはくまなくチェック。結果、良いですか、ひ・と・り・も!剃っている人はいませんでした。1人もです。剃っていると言うか、わき毛のない人が居なかったんです。いいですか、繰り返します、1人も!!ですよ!!!

ほんとにビックリ!! (*゜ロ゜)ノミ☆(;>_<) バシバシ。

わたしはなんで、わき毛ってそんな気にしないといけないんだろう、しかも女だけって思っていたので、ほんとうに、これでいいじゃんって思いました。よくこういう話をすると、向こうの人の毛は色が茶色いだの剛毛じゃないだのって、どうにかしてこの日本の現状を肯定したい人に会いますが、そういうことじゃないでしょう。向こうの人だってまっ黒クロの剛毛の人だっているんです。でも、処理しないのは、それが、必要ないからです。必要ないんです。日本ではなんか必要なんですね。その必要性について考えないといけないと思うんです。

生まれたまんまの姿で何が悪い。それが根本にあって、わき毛おーらいで闊歩出来る状況にて、わたしは処理する派って言うのが居ても良いと思うんですが、逆ですもん。変です。

ただ、外国人の女優、ダンサー、モデルさん達はわき毛ないです。で、一般女性の日本人との大きな差異は、そういう人たちの真似をすぐする日本人、それはそれ、と割り切る欧米人、という違いがあると思われます。もう1つ考え得るのは、わき毛を処理するのは商売女的な、つまり、身体を使って仕事をしている人、プロの女性、と言う概念があるのかもしれません。これは予想。でもこないだ見た、60年代のイタリア映画では一瞬出て来た、一般女性の役の女優達がみんな生やしていました。一般女性の役だったから、エキストラだったのかもしれませんね。

と、わき毛ウォッチャー☆マリーは考えるのです。

この、洗濯物や裸やわき毛の概念って言うのは、わたしには、成熟した性文化か、はたまた、精神性のまだ未熟な性文化かって思えるんですよね。どっちがどっちって言いたくないですけれどね。

日本人は成熟したって言うのが、ちょっと苦手なのかも。お子ちゃま文化ですからね。

あと、やはり、生まれたまんまで一回オッケー的な概念って楽チンでいいですよね。

ぜひ、日本人女子もわき毛おーらいで行ってもらいたいです。
UA辺りに活動してもらいたいですね。

ちなみに、わたしは気にしない様にしています。気が向いた方でやってます。向こうに行ったら楽チンです。

そういう意味でもわたしはフランスがあってるかなーって思うところもあります。

フランスしばらく行ってないなあ〜〜〜ダメだよねえ。ふーむ。

フランス語レッスンは旅行会話も、ワーホリ会話もありますよ。来れるだけ来てください。

教室のお問い合わせ→info@pasapasfr.comか、011−612−0113まで、お待ちしております

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日仏習慣考2〜フランスでの敬語事情

フランス語には、敬語があります。それは日本語の敬語と同じかどうかというと、同じとは言い切れないのですがちょっと説明しますね。

フランス語の敬語は何かと言いますと、“あなた”という二人称の人称代名詞が、敬語で話している人と親しみ語で話している人では変わって来るんですね。敬語の代名詞は、相手が1人でも“vous(ヴー“あなた方”の意)”と一緒になります。相手が複数いたらもちろん同じ“vous”です。
まあ、要は、“アンタ”って言うのか“あなた様”って言うのか、って事です。で、“アンタ”の方は、“tu(発音表現不可能)”と言います。で、“vous”で話す事を“vouvoyer”、“tu”で話す事を“tutoyer”と言います。また、“vous”で話す相手の名前を呼ぶときは、基本的にムッシゥmonsieur、マダンムmadame、マドモワゼッルmademoiselleの敬称に相手の苗字を付けます。この敬称に下の名前を付けてはいけません(×ムッシゥ ピエール)


フランス語の敬語って要は主語が変わるんですね。すると自ずと動詞も形を変えます。ほとんどの動詞の語尾の母音がエになってニッコリ強調され、余韻が残り、エレガントさが醸し出されます(慇懃さとも言う?)あとは特に敬語という物はありませんが、話す内容や言葉のレベルに気を付けてその場その場にあった言葉遣いをしなければならないことは何語でも変わらないのかもしれません。尊敬語は、主語のvousだけで、あと謙譲語とかはないし、日本語の語尾の“ですます調”とかはない、ということですね。

さて、フランスに行くと、ほぼプライベートでおつき合いする自分と同年代もしくは年下の知人〜友人とは↑でも話した“tutoyer”で話します。ということは、名前を呼ぶ時は、敬称を付けないでいいので、名前だけになるのですが、それが苗字だけって呼ぶことはありません。ということは、下の名前を呼び捨てにするということになります。日本だと昔からの友人とか、ひじょうに気が合い分かりあえて親しい友達ぐらいしか、呼び捨てってないですよね。でも、向こうでは友達の友達とかパーティで紹介してもらったりすると(向こうの人は良く集まる、人の家、カフェ、映画に行くなど)苗字なんてほとんど聞かないし、言わないし、マダムとかも言わないので、結構40代50代でもおのずと下の名前呼び捨てになります。

ただ、いろんなパターンがあって、良くあるのがあばあちゃんとか、妙にお金持ちっぽい身持ちの良さそうなマダムは、“わたしはマダム○○です”と自分で言います。それは、敬語で話してね、という意味と、わたしは既婚者で、○○婦人ですという事の表明の様です。そういう方はこちらとくだけた形でおつき合いしたくないと言う無言の主張なので、マダム○○と呼び、vouvoyerで話すのが流れです。

また、これは私の場合なのですが、日本人は若く見られたい!これは私も同じ。ですから、自分でマダムというのはなんだか抵抗があるんです。そしてわたしはいろんな人と親しくしたいと思っているので、できればtutoyerで話して欲しいのだけれど、若者の間に行くと、vousで話されて、ずっとそのままって言う事もあって距離を置かれているようで寂しくなったり、また、ちょっと暗いところでは、まさか、10も20も年上だと気が付かず、tuで話されてしばらくして年齢がバレてビックリとか。日本人は若く見えるのでそういう事はままあります。同じ位の年のフランス女性は日本の年齢に10歳くらい足した感じに見えます。態度も堂々としていて、(小さな声で→)しわも多いです。はい。

このvouvoyerで話される事が増えたって言うのは年齢のせいなのですが、友達が出来にくくなった感じがしてちょっと寂しいです。それが最近あんまり行きたくない理由(ってそれじゃだめでしょ)。

ここまでの説明だと、[呼び捨て=親しい]でしたね。でも、実際、vousを使っていても名前は呼び捨てとか、ちょくちょくあります。語学学校の先生にそれはいいのか、と聞いたら、いいと言っていました。

と言う事は会話ではこうなります。

Sylvie, vous êtes à la maison aujourd'hui? シルビー、あなたは今日は家にいますか?

呼び捨てだけど、敬語。
これってなんだか不思議な感覚。
でも、日本では親しくなっても苗字にさん付けって、向こうの人から見れば変なんでしょうね。
西洋人にとっては、友達なのに敬称とか付けてるの?不思議!的な感じでしょうね。
わたしみたいなざっくばらん派でもせいぜいあだ名か、ちゃん付けです。
“ちゃん”とか“さん”とかもとても細やかな選別の敬語だし、なかなかそれを取り去ることはできないです。

向こうの人の呼び捨て感覚は、人類皆平等というか、個々の個性でつき合う間を肌で実感できる経験です。上下感覚や社会的立場をできるだけ排除し、昔からの知り合いの様に接するみたいな。人と知り合う事を気軽に楽しんでいる感、ですかね。

でも、もちろんビジネスの現場とか、たぶん私の知らない大人の世界ではずっとvousで話している人たちもいるのかもしれませんが、日本に比べると敬語率はめっちゃ低いと思います。

でも、知らない人と話す時はいつもvousですので、店員さんとか、道で会った人とか、敬語vousで話して下さい。なので、旅行会話はvousで覚えていただいております。

旅行のため、向こうに行って住むため、新しい文化に触れるため、パザパはあなたと一緒にありたいです。

フランス語教室パザパのお問い合わせは、011-612-0113もしくはお問い合わせまで。

お待ちしております。

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日仏習慣考1〜ベッドメイキング〜

何を突然言い出すのか、ベッドメイクがどうしたんだ、といぶかる諸兄も多かろうと想像に難くないのではありますが、私の中でなんだか気になる西洋人と日本人の感覚の、見過ごせない微かなズレ感の1つに、この『ベッドメイク』があります。

ベッドをご使用のみなさんは起きたらベッドメイクしますか?美しさにこだわっていますか?するのは何分後ぐらいですか?しない方もいますか?普段からベッドメイクについてどう思っていますか?

そもそも、ベッドメイクというのは何のためにするのか考えてみました。

次に寝る時に自分が快適であるため。
人が来ても恥ずかしくないインテリアの一部として。
寝ている間に布団が含んだ湿気を飛ばすなど布団類のメンテナンスのため。

これ一人暮らしの寝に帰るだけの人には別に次に寝る時にやればいいや、と思われる事がほとんどで、人が来る事もないとくれば、ベッドメイクをする理由はただ一つ。布団のメンテナンスですね。

それは重要と言えば重要な気がします。やはり、一回布団や枕をばふばふとやる事で、ホコリも落ちるし空気も通る。ダニの繁殖も防げるでしょう。

さて、日本人の寝具ですが、元々日本人は畳に布団と決まっていたわけで、こんな庶民にまでベッドが当たり前の様に普及して来たのはつい最近、バブル以降くらいではないでしょうか。畳に布団の我々の親世代の庶民の暮らしというのは、ウナギの寝床式長屋か、幾つも部屋があるということがあったとしても、大きな家にはそれなりの人数の人が住まう事も多く、そのメンバーの中にはお手伝いさんなど他人様もいることもあったでしょうし、部屋は1つの部屋で居間、食堂から寝室まで一日の間に色々な役割を担っていたので、そこに布団が敷きっぱなしって言う事はまずありえない。となれば、布団の上げ下ろしというのは必須。で、その上げ下ろしの際に布団には空気が入り、そして敷くときもわざわざメチャクチャに敷く人もいないわけですから、そのこと自体が西洋人のベッドメイキングに当たっていたというわけです。

ところが、文明開化と敗戦で、すっかり西洋文化に制圧されてしまった日本文化。ベッドは憧れのアイテム。でも、多くの日本人の感覚としては、“ああ、布団の上げ下ろしから解放された。万年床で良いのね!西洋って合理的でなんと素晴らしい!”という勘違い感覚をもって受け入れられたのだと思います。わたしには少なくともそうでした(^▽^;)。

そして、核家族化や子どもまで個人の居室が出来、人から見られる事もない、共有する事も必要ない、そこに、『ベッドメイク』なんていう発想の入り込む隙き間はないのです。

さて、時を経て、私事ではありますが、フランス人や西洋人と関わる事が増えて来て、特に一緒に住んでみて思った事に、“ベッドが起きっぱなしの状態でほっておくなんて人間じゃない、なんとはずかしいこと!!”位の強い概念でした。それは、まさに“恥”の概念。外国人にもあったんですね、“恥”の概念。それは、他の何をさておいて、『ベッドメイク』にあったわけです。

つまり、起きたまんまにしておく人は、恥の塊、普通に生きる資格なし位の勢いで、ハッキリ言って“ダメ人間”ということになります。

まあ、生活というのはそれだけでもないので、大げさといえば大げさなのですが、けっこうそれくらいのインパクトを感じましたね。で、他の西洋人と話していても、ベッドメイクの美しさがその人間の品性に関わる所業である事が端々で分かります。

あれは、万年床を許されたスペースっていうわけではないんですね。Σ( ̄ロ ̄lll)ガビーン

今、わたしは居間にベッドを持ち込んで寝ていますし、良く人も来ますが、人が来る直前に直す位で、直さない事もしばしば。だからと言って、それほど人との間に違和感は感じないし、やっぱ、純和製DNAにはベッドメイクの恥の概念はまだまだ3世紀くらいは刻まれなさそうですね。

やはり、生活様式というのは物や見た目だけを取り入れてもなかなか分からない事が多いです。それが生まれた背景には、その土地独特の習慣があり、それは気候や土地柄を始め、衣食住に裏付けられた何らかの理由があって、しかも長い年月をかけてできて来ているからです。真似は結局表面的だし、今の日本の生活様式は完全に日本独特の和洋折衷、ミクスというよりは、全く新しい別の物としか言えないと思います。

先日、イギリス人の友達が、こう言いました。『どうして日本人は日本の文化が素晴らしいのにそれをキープし続けないのか?』と。わたしはこう答えました。『文明開化と敗戦で、全部壊されたのだからしょうがない。それまで綿々と続けて来た事が切られたのだから』と言ってみましたが、壊されたことのない側の人間としては全くこちらのメンタリティなど分かる由もなく、不満そうでしたよ。

服は洋服だけれど、靴を履いたまま家に入ることはできない。
幾ら床を板張りにしても、建築の規格はいまだに一間が基本。
外国語の記述は適当なカタカナ表記。英語なのに英語ネイティブには通じない。
そして、ベッドは万年床。

もちろん何も悪いことはない。これも流れです。でも、いろんなことに気を付けてみると気が付くことがあります。その理由や背景にある物を考えるのは面白いですね。


教室のお問い合わせ→info@pasapasfr.comまで

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Alimentation bio オーガニック好き

私はオーガニックな食べ物が好きです。
発端はたぶん祖父が、農学博士で、いろんな西洋野菜を輸入したり、りんごの専門だったりしたんですけれど、その人が、自宅で実験菜園をやっていて、1000坪超の畑を作っていたのですが、小さい頃は野菜はほとんど買った事がなく、母の口癖は、売ってる物は味がない、というもので、今考えると農家の方に失礼な話ですが、ある意味最高に手塩にかけた農作物や珍しい野菜や果物を口にする機会が多かったのです。しかし、それがオーガニックだったかというと今考えると逆で、当時は農薬の使い方を祖父は研究していた部分もあるんですね。悪気はなかったんでしょうけれど、今の私の嗜好とは反対の事です。ただそれに気が付いたのは、祖父が死んでかなり経ってからの事です。で、それプラス、うちの母が、食品添加物にかなり早い時期から警戒していた事にあります。その頃は合成着色料や保存料です。そして、炭酸飲料みたいな市販品もほとんど飲ませてくれませんでした。そういう親に育てられ、なんとなくそういうもんかな、と刷り込みがあったのでしょうね。ただ大学で一人暮らしをしていた時はそんなに意識はありませんでした。
大学を卒業して、パリで暮らした時、一緒に3〜4ヶ月暮らしていた友人が、オーガニック好きで、その時に、初めてそういうものの存在を意識した様に思います。その人は、そういう食品を”ビオbio”と呼んでいました。そして、日曜はRaspailのオーガニック市に地下鉄を乗り継いで籠を持って行っていたので、わたしも自然とヒマなら着いて行くのでした。Marché Raspailの様子はこちらから

そんなこんなで、日本に帰って来て、少しずつ、そういう方向になっていったんですね。そして、子どもが生まれ、当時のダンナさんもそういう事が好きな人だったので、そういう食材を買い求める様になって行きました。そのうちに、2人めの子どものお父さんは最初はそうでもなかったものの、その後、料理の腕を生かし、かなり本格的なBio派になって何でも手作りする様になり、そのお父さんが食品以前にビオワインVin biodynamiqueなる物の輸入に関わっていて、そのワインを飲むとアタマが痛くならないどころか元気になっちゃうという体験を通し、よりそっちの方向に行く様になりました。もちろん、全て、ということは難しいですが、地元でがんばっている農家さんとかを応援したいなっていう気持ちはいつも持っています。

今たまたま飲んでいるワインはこれ7, rue de la Pompe

説明が面白いので、ちょっと訳してみましょう。

Franchement, il faudrait être fou pour ne pas goûter un tel vin !
7 Rue de la Pompe (lot 12 du Mas Coutelou, est une cuvée fraiche, fruitée, structurée à souhait. Beaucoup de plaisir et de facilité vous attendent dans cette 'Pompe' à vin.
Encore une fois avec Jef Coutelou, un vin superbement bien réussi. Un vrai plaisir et un rapport qualité/prix rarement atteint... Un régal, on vous dit, un régal.
Bravo Jean-François, good shot again !

ハッキリ言って、このワインを飲まないなんてバカだわ!
7 Rue de la Pompe セット ヒュー ドゥ ラ ポンプは、爽やか、フルーティ、理想のバランスを兼ね備えたキュベ。喜びと飲みやすさがこの”ポンプ”の中で飲んでくれるの待ってるよ。もう一回言っとくけど、このジェフ・クートゥルーはめっちゃスゴいワイン作っちゃったよ。本物の悦楽とこの質でこの値段とは、、、ご馳走だわ、、もう言っちゃうよ、これは、、、ご馳走ワイン。
ブラボー、ジャン・フランソワ。またしてもやったね!

2013061521410000.jpg

(写真は縦になっててごめんなさい。なんか、治りません。。。)


ちょっとオネエ言葉っぽく訳してしまいましたが(すいません、、、そんな感じを受けたので・・・)、
さて、この文章の中で"pompe"という言葉が何かのひっかけになっていますね。
ワイン用ポンプというのが、直訳ですが、この言葉を辞書で引いてみると、
盛大さ、華麗さという意味も昔の使い方である様なので、
その両方にかけていそうです。


あーオイシイ☆

ご購入はマルヤマクラスの円山屋で。でも、これはもう売れ切れの様です。

ビオワインはそんなに高くない物からあるので、特に
”ワインを飲むと悪酔いして”という方におすすめです。
まだまだ飲む愉しみ、享受しましょう。

ではではー♪

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