はい、“ベッドメイキング”に続くマリーの気になる日仏(和洋)の感覚のズレ第二弾は、なんとデリケートな話題、“性”でございます。期待しちゃいます?でも、期待に胸膨らませた諸兄には申し訳ない。ここで取り上げるのは男女のナニではありません。わたしが向こうに行って見て感じた日本人との性に関する感覚の違いを書きたいのです。男女のナニに関しての違いは、フランス人の男はこうだとかああだとか、一般化できる程の経験はしていませんし、そんな事できるのかなって思います。まあ、もちろん、子どもまで作ったわけですから、経験がないわけではないですが、人の話や私の経験で言えば、フランス人は日本人以上に一般化できない、いろんな人がいるんではないかなって事くらいですね。だいたいフランス人って言ったって、三代前までの間に、外国人の血が入っていない人なんてめっちゃ珍しいですから。
なので、そっちの方は期待しないで読んで下さい。
わたしは24歳くらいの時に留学したのですが、いろんなカルチャーショックを受けた中でも、性に関する事は一番強かったですね。日本にいたらやはり井の中の蛙(かわず)。日本人の性の概念、恥の概念はほんとに窮屈でどうでも良い事にたくさんエネルギーを割いているんだなって最終的には思いましたが、いろんなことを見て、その時は、え!?え!??これでいいの!!!???ってほんとにビックリしました。それから、よーく考えて、“あ、良いのか”ってストンと腑に落ちたりして。
例えば、わたしが留学した1989年は記念すべき革命200年記念の年で、いろんなイベントが催されたのですが、わたしは運良く、フランスのministère de la Jeunesse et des Sports(若者とスポーツ省)による合宿イベントに参加する運びとなり、7月の間の3週間程度、パリの郊外にある合宿所でいろんな国の若いアーティスト達と寝食を共にしました。
そこでまずビックリしたのは、洗濯場で、女子が下着のパンツもブラジャーも普通に干している事でした。普通どころか、正位置っていうんでしょうか、パンツが一番パンツらしく見える、ブラジャーも同様に見える形で、堂々と干してあるのです。盗まれるんじゃないか?とか、そういう事でなくて、ただ単に、こここれって、あり!?ってほんとに(⌒▽⌒;) オッドロキーでした。そこに集う人たちはほんとにみんな初めて会う人たちで、とにかく、知らない人同士なんですね。いや、知っていてもどうかと思いますが、つまり何が起きても分からないわけですよ。てか、それ以前に日本人女子では考えられませぬ。。。でしょ?わたしはパンツは部屋に持って帰って、ラジエーターの上で乾かしていましたが、同室だった女性はどうだったか覚えてないや。その方はチェコスロバキアの先生で、年齢は30代後半くらいでしたか、あんまり若くなかったです。でも、結構交流していました。わたしってばフランス語歴一年で、結構スゴいじゃん!なんちゃって。話ずれた。
それから、その合宿所は、ものすごい広大な敷地にいろんな建物があって、アトリエがあっちこちにあり、敷地には芝生が敷き詰めてあって、どこでもみんなゴロゴロできました。そしたら、次にビックリしたのは、女子達がタンクトップとかで居るんですけど、ノーブラの子も多くて、ゴロゴロしてたら普通に見えました。でも、それも普通なの。
その時に経験したのではないのですが、後に渡仏した時に、一回だけビジターでダンススタジオでレッスンを受けたことがあるのですが、そこでもビックリ。スタジオが空くまで待っている間、その待ち合いスペースで、男子も女子もたくさんいるんですけど、女子が普通にいろんな人たちとお話ししながら、脱いで行くのです。どこまでって、上半身は全部。パンツ1丁まで。で、ダンス用の服に着替えると。それが普通なんです。あーびっくり。
それに、今は余りいないのかもしれませんが、エッフェル塔の下の公園で、普通にトップレスで寝っ転がっている人たちもいたし、どうもどうも、うちらと裸の概念が違うらしい、と思い始めて来ました。
街の広告塔には、セックス雑誌の宣伝がでっかくあっちこちにあります。その写真は、もちろんセクシーなカッコウをしたお姉さん達が、物欲しげな顔で写っているわけですが、幾らセクシーとは言え、服着てるんですね。こんな街ん中のあっちこちで素人さんの裸が見れる状況にあって、セクシーとは何ぞや、とわたし、齢23歳は考えてみたわけです。
要は、その気のない人の裸って言うのはたいして価値がない、と。てことは風呂屋ののぞきとかもないわけでしょうか。のぞきはのぞきでも、良く映画とかで出て来るのは窓から見える、妙齢の女性の普段の姿とその性生活というようなものが主であって、裸自体ではないのかもしれません。私たち日本人は裸は裸で、その人にその気があろうがなかろうが、価値はあまり変わらない、どころか、その気がない方が燃え上がる的な心情もないでしょうかね。そう考えると、不健康なのは日本人だな、と思ったわけですよ。だって、その気がある人だったら、こっちがどんなセクシャルな気持ちになろうが合意の元な訳ですから、ある意味健康的です。なんか、大人の性だなって思ったりしました。こちらがその気がないなら何が見えようが、気にしなくて良いって楽だと思いません?
あと、とにかく一番の衝撃だったのが、わき毛、です。もう日本では中学高校と、それ以降も、わき毛のわの字でも見えたら死にたいくらいの恥じ入りっぷりでなきゃ『ならぬ』的な、強迫観念を持っていたのですが、向こうに行って一夏過ごし、ノースリーブのワキの下をわたしはくまなくチェック。結果、良いですか、ひ・と・り・も!剃っている人はいませんでした。1人もです。剃っていると言うか、わき毛のない人が居なかったんです。いいですか、繰り返します、1人も!!ですよ!!!
ほんとにビックリ!! (*゜ロ゜)ノミ☆(;>_<) バシバシ。
わたしはなんで、わき毛ってそんな気にしないといけないんだろう、しかも女だけって思っていたので、ほんとうに、これでいいじゃんって思いました。よくこういう話をすると、向こうの人の毛は色が茶色いだの剛毛じゃないだのって、どうにかしてこの日本の現状を肯定したい人に会いますが、そういうことじゃないでしょう。向こうの人だってまっ黒クロの剛毛の人だっているんです。でも、処理しないのは、それが、必要ないからです。必要ないんです。日本ではなんか必要なんですね。その必要性について考えないといけないと思うんです。
生まれたまんまの姿で何が悪い。それが根本にあって、わき毛おーらいで闊歩出来る状況にて、わたしは処理する派って言うのが居ても良いと思うんですが、逆ですもん。変です。
ただ、外国人の女優、ダンサー、モデルさん達はわき毛ないです。で、一般女性の日本人との大きな差異は、そういう人たちの真似をすぐする日本人、それはそれ、と割り切る欧米人、という違いがあると思われます。もう1つ考え得るのは、わき毛を処理するのは商売女的な、つまり、身体を使って仕事をしている人、プロの女性、と言う概念があるのかもしれません。これは予想。でもこないだ見た、60年代のイタリア映画では一瞬出て来た、一般女性の役の女優達がみんな生やしていました。一般女性の役だったから、エキストラだったのかもしれませんね。
と、わき毛ウォッチャー☆マリーは考えるのです。
この、洗濯物や裸やわき毛の概念って言うのは、わたしには、成熟した性文化か、はたまた、精神性のまだ未熟な性文化かって思えるんですよね。どっちがどっちって言いたくないですけれどね。
日本人は成熟したって言うのが、ちょっと苦手なのかも。お子ちゃま文化ですからね。
あと、やはり、生まれたまんまで一回オッケー的な概念って楽チンでいいですよね。
ぜひ、日本人女子もわき毛おーらいで行ってもらいたいです。
UA辺りに活動してもらいたいですね。
ちなみに、わたしは気にしない様にしています。気が向いた方でやってます。向こうに行ったら楽チンです。
そういう意味でもわたしはフランスがあってるかなーって思うところもあります。
フランスしばらく行ってないなあ〜〜〜ダメだよねえ。ふーむ。
フランス語レッスンは旅行会話も、ワーホリ会話もありますよ。来れるだけ来てください。
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